雨。


パタパタと雨が傘を叩く音を聞きながら上機嫌で歩いていた。
雨は頭が痛くなるから嫌いとぼやいていた彼女の顔を思い出す。生活力というものがない彼女は、雨の休日は決まって部屋にこもっていた。最後に彼女の部屋に行ったのは確か2週間ほど前。お互いに仕事が忙しくて会うことができなかった。果たして部屋はどれくらい汚れているのだろうか。一抹の不安が頭をよぎったけれど足取りは軽かった。
片手には食材が入ったスーパーの袋。見慣れた景色と、目の前の彼女の住むマンション。
いつの間にか繰り返していた彼女の家の掃除と食事の用意。



  
レイニー




ピンポーンという一般的なインターフォンの音が鳴り響く。応答は期待できないので、合鍵を取り出して部屋に上がる。短い廊下を抜けてドアを開けた。ワンルームの部屋は思っていたより汚れておらず、キッチンを覗いても食器は放置されていなかったので拍子抜けした。



「蔵ノ介?」


ベッドに張り付いていた彼女は、気だるげに俺の名前を呼ぶ。
キャミソールにハーフパンツという軽装で警戒心の欠片もなく足を投げ出す姿に思わずため息が出る。明らかな憂鬱を目に浮かべ、近づいていくと「久しぶり」と気だるそうに言った。いつも通りの姿。
どこか現実感の抜け落ちた彼女は前に見た時よりも少し痩せているような気がした。
湿気でジメジメとした部屋はどこか彼女に似合わない。前に引っ越せばいいと言ったら、めんどくさいから嫌。と一蹴された。食事をしろ。運動をしろ。部屋をキレイにしろ。いくら言い聞かせても直らないのでいつの間にか諦めてしまった。それでも放っておけない。



「…飯は?」

「まぁ適当に。」

「冷蔵庫は?」

「蔵ノ介が置いていった調味料ならある。」

「オマエなぁ…」



適当な言葉に呆れてため息を漏らすと、「だってめんどくさいんだもん。」と言い訳にもならない言葉が返ってきた。
雨の日は服が汚れるから外に出る気にならない。と言っていた彼女の言葉を思い出す。ここ数日雨の日が続いていた。雨の日は職場へ直行直帰の彼女はおそらくまともな食事をとっていないのだろう。ともかく何か食べさせなければいけない。そう判断してキッチンへ向かう。いつの間にか使い慣れた台所に、慣れてしまった彼女への対応。気づかれないように苦笑いする。1番どうしようもないのはこの距離を心地良いと感じてしまっている自分で、彼女が自立することを妨げてしまっている。甘やかしたい気持ちと自立させたい気持ちはいつもギリギリのところで前者が勝ってしまう。彼女は多分それが分かっている。
「蔵ノ介。」と呼ぶ声に振り返り、「なに。」と短く返事をする。鳥肌が立つような色の笑顔を深くする。この笑顔が彼女から離れられない理由で、



「蔵ノ介、良いことしよっか。」

「…飯食うてからな。」

「えー。理性的だなぁ。」

「はいはい。台所借りるで。」



「ケチ。」と言う彼女の頭を軽く小突くと、「暴力はんたーい」と笑う。そのままベッドに座ると彼女はゆっくりと体を起こす。湿気を含んだ髪。ベッドにまで染み付いたいつものシャンプーの匂い。外から聞こえる雨の音。この部屋の空気は密閉されているみたいに濃密だ。全てがかみ合っていないような気がした。そのまま顔を近づけると噛み付くようにキスされる。自分の部屋より少し狭いのに、ここに来ると気持ちが落ち着くから不思議だ。



「…除湿機買わんの?」

「お金ない。蔵ノ介が買って。」

「…自分で買いなさい。」

「今ちょっと迷ってくれたでしょ。」



「アホか。」と言えば擦り寄ってくる。懐かれたと思ったらいつの間にか手玉に取られた。軽く肩を押せば押し倒すことは簡単で、三日月をひっくり返したみたいな笑みを浮かべる口元に、好奇心旺盛な目元。そのまま口付けようとすれば「ストップ」と肩を押された。思わず眉を顰める。対する彼女は、「蔵ノ介いい匂いがする」と呟く。振り回されるのはいつものことだ。



「やっぱりお腹すいた。」

「…はいはい。」



いつもならベッドで食べ物が出てくるのを黙って待っている彼女は珍しく台所へ向かう俺に着いてくる。好きにさせているとそのまま手を繋がれる。「私も手伝う。」という声に「座って待っとき。」と言えば手を強く握られた。こういうところが愛しいからいつも手が離せない。伝わってくる体温はさっきまで眠っていたせいか温かかった。思わず溢れた言葉は、「一緒に住もか。」という脈絡のない言葉で、彼女が息を飲むのが聞こえた。



「毎日ご飯作ってくれる?」

「…たまには自分で作りや。」

「除湿機買ってくれる?」

「買ったる。」



色気のない会話の後、「蔵ノ介大好き!」とそのまま抱きつかれる。欲に正直な彼女はいつも眩しくて、素直に愛しいと思える。除湿機は明日買いに行って、彼女の引越しを手伝わなければいけないと思うと楽しくなった。
湿気の多い部屋、規則的な包丁の音、気だるげな彼女。歪に、いつも通りつながる日常。明日もきっと雨で、彼女はいつも通り憂鬱そうにベッドに張り付いているのだろう。この部屋が落ち着くのは住人である彼女がいつもここにいると分かっているからだ。


微笑んだ彼女にもう1度キスを。






淡い雨がやむとき







20120302 お題はcathy様より